ANKOLO MASTERD

フーワッフワッフー

続き

2年の冬、商業科2人は補習とか検定とかでとても忙しいみたいで、練習を遅れてくるスパンが多くなった。その頃私は人生初めてサボりというものをした。

気分が悪いので帰りますと女顧問に言ったら、機嫌が悪いの間違いじゃないのかと笑われながら言われた。公認でサボれてしまった。

でも、女顧問はこんな態度が悪く気難しい私でも絶対見捨てなかった。少しでも話しかけて来てくれた。サボりもその日だけで終わって、その頃から本格的に先生を負かすために稽古をしようと思った。今まではなんとなくだった。女子は私1人の時が多かったけど、幸いにも一個下の男子後輩と仲が良く、和に入れてもらえて、数人ではあるがタメの男子とも練習相手になって貰えた。先生との稽古には絶対自分が1番にかかって行った。ボロクソにやられたし、次に待ち構えていた男子との立会い稽古の方が、女顧問は生き生きしててムッとした。

今まで打ち合いとかが好きだったが、女顧問と試合を(立会い稽古だけど試合って思ってやっていたw)重ねていくにつれて、攻め合いが楽しくなっていた。(打突の前に心理戦みたいなのがある)一回だけ、本当に一瞬の一回だけ、自分が優位な攻め方ができて女顧問は思わず、おいANKOLO!今の!!私が引いたのわかったか!!!!!?

と興奮して問いて来てくれた。めっちゃ頷いた。高校で初めて嬉しいと感じた。そのあとコテンパンにやられた。

後に個人戦の大会があって、攻めのコツをつかんだ私はきちんと落ち着いて、気持ちを整理して、打突の機会を伺った。いつもは腕を組んで睨みつけられるが、その日の大会は腕を組み微笑んでくれていた。本当に嬉しかった。

辛かった冬も開け3年になった時、なんと女の後輩が3人も入って来てくれたのだ。5人で大会に出れる喜びと、後輩が入ったという気持ちの引き締まりと、二個下という、後輩の可愛さ。後輩たちが、私たちのせいで負けてすいませんと言わせないように、今度は後輩のために頑張ろうと思った。明るくてよく動いてくれて男子とも仲が良くて本当に良かったと思った。同じ思いはして欲しくなかったから。

商業科の子達と話し合い、女子だけだけど朝練しようってことになって3人で朝練をした。女顧問は遠くから見てくれてたみたい。

最後の総体、個人戦で、中学の同級生と2人当たり、4回戦目1番仲が良かった子とだった。辛かった時、その子の家に遊びに行ってお互いの心情の報告し合って、お互い葛藤があったり、同じ境遇だったりと、私の悩みを打ち明けられる彼女がいてくれたおかげで乗り越えられた時期もあった。そんな彼女と最後の引退試合個人戦と当たる事が光栄だった。女子には珍しく40分近く戦っていたらしい。(剣道の個人戦は勝敗が決まるまでずっと続く。引き分けとか休憩はない)40分なんて感じなかった。1つ1つの動作がスローモーションで命がけ。お互いの3年間の集大成。合い面で私は負けた。彼女はその先も勝ってくれて、準優勝で全国へ行った。結果は団体個人戦とも出せなかった。でも後味は悪くなくて、なんというか清々しい?気持ちだった。

玉龍旗に出ることとなり、その大会は勝つことではなく、最後の思い出づくりとして和気藹々と出た。全てを終えたあと、県総体では出なかった涙も、ポロポロと自然に涙が出て来た。走馬灯のように、辛かったこと悔しかったこと、やる気のなかった時期、嬉しかったこと、いろいろ出て来て、終わった〜と安堵もあり、いろんな感情だった。

 

私の剣道ライフは終わった。

 

男子が嫌いだったのも私は男子に嫉妬してたんだと思う。部の中心で、盛り上がってて、人数もたくさんいて、力強くて打ちも強くて、体はでかいし、スピードがあって、先生にも構ってもらえて、羨ましかったんだと思う。

なのに稽古は揃わない、謹慎者が出たり、不真面目。女子は隅っこで、おまけ感があって、地味で。

劣等感を感じてたんだと思う。最後らへんは仲良くなれたのに、時間がかかったのは私が勝手に嫌っていたんだと気づけた。

 

あひるの空のワードで思い出話を書いた。空みたいに、行動力がなければ影響力もない。仲間を奮い立たせることもできなかった。先生たちみたいに、誰かかが導いてくれないと私は問題を解決できない子だった。

中学、厳しい先生が勝つ道を導いてくれて、転勤した途端路頭に迷い、

高校、1人では不貞腐れることしかできなかったけど、女顧問が歩み寄り導いてくれたおかげで楽しかった、充実してたと言える時期がある。

 

高校生の部活は辛い思い出が多く、今でも思い出すたびに落ち込んだりする時がある。正直今でも会うのが怖い、嫌だ。そんな高校でも楽しかったと言える時期がある。周りの人のおかげだ。