ANKOLO MASTERD

フーワッフワッフー

部活ののお話

私の学生の部活動の話。

私は剣道部でした。

中学1年生。友達とソフト部かバスケ部か入ろうとしてたけど、辞めて剣道部にしました。

理由は人が少なかったから。体育館とソフト部のグランドの間に武道館があって、たまたま目に付いたんだと思う。

 

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↑体育館  ↑武道館  ↑ソフト部のグランド

 

バスケ部とソフト部の部活動見学の通り道だったわけよ。

剣道の見学に行くと、男子は多かったものの、女子は4人という少なさで即決。先生も狂ってるくらい厳しい先生で、辞めとけと姉に言われたが、うちらの頃には転勤するだろと思い、安易に入部をした。

 

そこから始まる私の剣道の物語。

 

先生は、剣道の大会があると他校の生徒が駆け寄って挨拶に来て、人集りも先生の周りには道ができるくらい、通り過ぎる人ほとんどが頭を下げたりと、とても顔が知れてる先生だった。

一年生、初めは防具をつけずに、素振りやすり足、掛け声など基本の基本を徹底的に仕込まれ、6月頃に面をつけれた。それまでは分からなかった先生の怖さも、面をつければ鬼のような指導にはじめはビビった。でも、もちろん怒られてるのは自分1人じゃないので頑張れた。

3年生も抜けると、2年の先輩2人、私たち1年の4人、合計6人の女子チームとなってしまい、早くから試合に出させてもらった。(5人制だから)

そこからさらに先生が厳しくなり、練習もきつくなる。掛かり稽古というものがあり、本当にキツくて嫌いだった。例えるなら、ずっとペースを上げながら走って、息遣いはほとんど吐いたまま。ゼェゼェの息遣いができないのだ。

剣道は声出し命だから、メェーンとかヤァーとか言いっぱなし。瞬時に息を吸い上げて打突と同時に声を出す。

ただでさえしんどいのに、先生は何かしらの理由をつけて延長するもんだから、しかも機嫌が悪い時には1時間掛かり稽古とかザラじゃなかった。

 

しかし、試合では少しずつ勝てるようになり、大会の入賞も多くなり、2年の冬の県大会で団体2位になり、全国大会に行くことができた。

予選で負け、帰りの先生の挨拶で、今年いっぱいで転勤になる。今までありがとう。と言い、冬季全国大会と、厳しい先生との剣道ライフは幕を閉じた。

 

そこからだ。スランプに陥った。初めてのスランプに戸惑って、思うように体が動かなかった。でもどうしていればいいか分からずそのままずるずる引きずってしまった。

もし厳しい先生なら喝を入れて、スランプ脱出を導いてくれるんだろうと、大人になってから思った。

今まで先生の言うことしかやってこなかった私たちは、これからどうすればいいか分からず、新しい顧問も剣道未経験で、部外コーチが来てくれたが、週に1.2回くらい、しかも1時間程度。彼はとても優しかった。

新しい顧問は、剣道を知ろうとしてくれて、防具をつけて一緒に稽古してくれたり、等身大になってくれたりして嬉しかったし、初めはうまく噛み合わなくとも、自然とみんな慕っていった。

路頭に迷った私たちは、最後の総体は私の一本負けで団体ベスト8とという結果で終わった。

 

3年間毎日、全部活動参加の朝練があった。20〜25分間走なのだが、時間走だと個人の追い込み具合で全然内容が変わってくるので開始5分にはもうヘロヘロで、そこから自分との勝負で本当にきつかった。よく頑張りました。

 

先生が右と言えば右に。左と言えば左に。何でもかんでも言うとうりにしていれば、強くなれた。疑問なんて一切湧かなかった。だって先生怖かったし、結果が出てたから。

厳しい先生は、今の時代だと絶対アウト。クビレベル。内容は言わないけど。

 

体罰問題で今話題だけど、生徒と監督の信頼関係だと思うよ。体操だって、女の子は暴力があったが体罰だとは思わない。指導の一環だって言ってるのに、知らない偉い人があーだこーだ言って、その生徒と監督の関係が終わろうとしてる。第三者によって関係が崩されるなんて、それはとても悲しいこと。

 

話はそれたけどこれが中学ストーリー。

そしてこれからが地獄の高校ストーリー。